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【天声人語】2006年09月13日(水曜日)付

九月 13th, 2006 in 天声人语, 日语学习 暂无评论 »

 自動販売機に120円を入れて、缶(かん)コーヒーを買う。自販機(じはんき)前面(ぜんめん)に、「収益金(しゅうえききん)の一部は、『緑(みどり)募金(ぼきん)』に寄付(きふ)されます」とある。隣の普通の自販機と値段は変わらない。どういう仕組み(しくみ)で、いくら寄付されるのか。

缶コーヒー

缶コーヒーかんコーヒー)とは、缶に入っていて、すぐに飲むことのできるコーヒー飲料である。主に自動販売機などで販売されている。

と‐ある

[連体]
たまたま行きあった場所である、また偶然そうなった日時である意を表す。ある。さる。 「―レストランに入る」「―秋の夕べ」

 寄付金は「緑の羽根(はね)」の活動をしている団体に入る。担当者によると、飲料(いんりょう)メーカー側の提案で4年前に始めた。今では全国に約2300台あり、売り上げの約2%、飲料1本あたり約2~3円が寄付金に回る。負担するのは、飲料メーカーと自販機設置者だ。平均1台あたり年約1万2千円になるという。

 透明性を図る(はかる)ために半年(はんとし)ごとに、「この自販機から××円募金しました」という表示を掲示しているそうだ。ほかに、福祉や医療関係の団体に寄付金が回る自販機もある。

 自販機は電気を消費し、環境に悪影響を与えるイメージが強い。緑への貢献をうたうことは、業者にとって環境に優しい印象づくりになる。街頭(がいとう)やビル内の自販機は飽和(ほうわ)状態で、新たに設置してもらうのはなかなか難しいが、募金自販機は売り込みやすい利点もある。

うり‐こ [売り込む]

[他五]
@宣伝したり強く勧めたりして、ある商品を売り広める。 「新型のパソコンを―」
A積極的に働きかけて、名や存在を広く知ってもらう。 「名[顔・作品]を―」
B利益を得るために、ひそかに情報を提供する。 「企業秘密を―」【名】売り込み「企画のに成功する」

 何台も並んでいるところに、募金自販機を1台置くと、その売り上げが一番になることが多いそうだ。買う側としても値段が同じなら、募金になる方が気分がいいのかもしれない。

 米国には4兆円以上も慈善(じぜん)団体に寄付する大金持ち(おおがねもち)がいるが、自販機はあまりない。日本は「寄付文化」がないとよくいわれるが、自販機の普及は世界一だ。1回の寄付金はごくわずかとはいえ、日本的な新しい芽(め)が育っているようにも感じられる。

【天声人語】2006年05月12日(金曜日)付

五月 12th, 2006 in 天声人语, 日语学习 暂无评论 »

 企業の粉飾をただす目付け役が、企業と共に粉飾する役回りを演じていた。所属する公認会計士がカネボウの粉飾決算に加担していたとして、金融庁が10日、中央青山監査法人に7月からの一部業務の停止を命じた。監査する約5500社の中には、日本を代表する企業も含まれている。

调查企业弄虚作假的监督者和企业一起扮演了弄虚作假的角色。因中央青山监查法人下属注册会计师偏袒嘉娜宝的虚假决算一事,金融厅10日责令其从7月起停止部分业务的营业。在其监查的约5500家公司中,也包括日本具有代表性的企业。

ふんしょく【粉飾】[0]

―する 自分のかつて犯した悪や内容の至らぬ点をごまかすために、故意に表面を飾り立てること。

「―を施す/―決算」

ただ・す【×糺す】

[動サ五(四)]《「正す」と同語源》物事の理非を明らかにする。罪過の有無を追及する。「事件の真相を―・す」「事の是非を―・す」

[可能]ただせる

めつけ‐やく【目付役】

きちんと仕事や生活をしているかどうか監視する役。監督役。

やくまわり【役回り】ヤクマハリ[3]

その人が やることになった役目。

「損な―」

か‐たん【荷担(加担)】__名・自サ変__

味方になって、力をかすこと。「悪事に─する」◇「荷」「担」は、になう意。 本来は「荷担」だが、近年は「加担」が優勢になってきた。

と‐し‐て__連語__

《活用語の終止形を受けて》…という理由で。…という名目で。「問題が多い─退けられる」

 その一つのトヨタ自動車はこの日、06年3月期の連結決算で売上高が21兆円余に達したと発表した。米フォード・モーターを上回り、来年の決算では米ゼネラル・モーターズを抜く可能性が強まったという。

其中的丰田汽车日前公布了06年3月份的总决算,其销售额达到12兆多日元。据说超过美国福特汽车,明年的决算超过美国通用汽车的可能性很大。

れんけつ‐けっさん【連結決算】__名__

親会社と関連子会社を一つの事業体とみなして行う決算処理。証券取引法によって、一定の企業集団に要求される。

ぬく【抜く】__

[一][2]:[0](自五)

〈なに・だれヲ―〉自分の進路を妨げるものを排除したり競争相手になるものを押えたりして、△先(上)へ出る。

「センターの頭上を―〔=越える〕/先進国を―〔=追い越すほどに経済力・文化などが進む〕/五人―〔=(a)追い越して、先頭に出る。(b)続けて負かす〕/一頭地を―〔=__一頭地〕」

 世界のトップの位置が目の前だ。自動車の生産を始めてから約70年、国内生産の累計台数は、昨年までで日本の総人口に匹敵する1億2千万台余に達した。

世界第一的位置就在眼前。从开始生产汽车算起大约70年,丰田的国内生产累计辆数截止到去年,已达到可匹敌日本总人口数的1亿2千万多辆。

終戦後には倒産の危機もあったが、その後は業績を伸ばし続けた。トヨタ車への支持と信頼を得るために、血のにじむような努力が続けられてきたことだろう。

丰田战后也曾遇到破产危机,之后业绩不断扩展。想必为了赢得大家对丰田的支持和信赖,付出了极大的心血吧。

にじ・む【▼滲む】__自五__

__液体が紙や布などにしみて広がる。「墨汁が半紙に─」「血が包帯に─」

__液体がしみて文字などの輪郭がぼやける。また、涙でかすんで物がぼやけて見える。「雨にぬれてはがきの文字が─」「涙で星が─・んで見える」

__表面にうっすらと液体がしみてくる。しみでる。にじみ出る。「額に汗が─」「血の─ような努力を重ねる」

__表情などにあらわれる。にじみ出る。「苦悩の色が顔に─」

 
その努力を認めた上で、あえて述べる。世界一の自動車会社になるということは、世界一多くの事故にかかわり、世界一大きな影響を環境に及ぼすことになりう
る。その厳粛な立場を忘れてほしくない。事故や排ガスを減らす手だてを探り続ける、世界一重い責任がある。売れるだけ売って、後は行政や利用者の責任、と
いうのでは困る。


田的努力是被认可的,同时笔者也要大胆进言。丰田在成为世界第一大汽车公司的同时,可能会成为和世界第一多事故相关,世界第一大影响环境的公司。我们不希
望丰田忘记这一严肃立场。丰田肩负着世界第一的责任,不断探寻减少事故和废气的方法。只管卖,其它是行政人员和使用者的责任,如果这样,就会带来困扰。

奥田碩(ひろし)会長は一昨年、トヨタの弱みの一つとして「社員の間にあるおごり」をあげた。「急速な業績拡大は、傲慢(ごうまん)で成功におぼれる傾向が出るので注意したい」。トヨタの新しい目標と課題は、心の粉飾を戒める「自己監査」かも知れない。

奥田硕会长前年曾举出丰田的弱点之一“职员之中的骄傲情绪”。“随着业绩的迅速扩大,容易因骄傲而沉溺于成功之中,希望大家注意。”丰田新的目标和课题,也许就是防止内心虚假的“自我检查”吧。

おごり【驕り】[0]

(一)自分の能力や権勢・優位を過信し、謙虚さを△失う(失った言動をとる)こと。

「神を恐れぬ人間の―/最近の日本人には、経済的成功の余り、―が見られるようになった/彼らを見ていると、日本こそ一番いい国という―のようなものがある/大リーグ一〇一勝のプライドは胸に秘め、―は見せない」

天声人語2005年12月07日(水曜日)付

十二月 7th, 2005 in 天声人语, 日语学习 暂无评论 »

【天声人語】

2005年12月07日(水曜日)付

 2016年の夏季五輪に向けて、国内の候補都市を来年8月末までに一本化するという。既に手をあげている東京都、福岡市や模索中の札幌市は、五輪の開催を景気回復や道路、新幹線整備などの「起爆剤」とみているそうだ。

 五輪は独特の輝きを放つ催しだ。肥大化や招致競争の過熱、選手の薬物汚染などの問題は深刻だが、いつも多くの感動的な場面が生まれ、人を酔わせる。開催される都市や国の夢を担ってきた。

 東京五輪は、焦土からの完全な復興を国際社会に示すという戦後日本の大きな夢を背負っていた。それが1964年、昭和39年の秋に実現したとも言えるが、一方で、五輪成功の旗印のもとに、街は大きく造りかえられた。

 五輪の少し前の東京を舞台にした映画「ALWAYS 三丁目の夕日」(山崎貴監督)が公開されている。東京タワーが建設中だった昭和33年の都心の街での、さまざまな人模様が描かれる。大通りはともかく、裏通りと路地の多くは、自動車ではなく、まだ人と自転車のものだった。

 東京での職場は光り輝いているものと思い描いてきた集団就職の少女の夢が、いったんは破れる。しかし、そこには、路地の網の目のように張り巡らされた人の心の結びつきがあった。

 東京に限らず、改造の度に、都会からはこうした心の路地や自然が失われてきた。もし2016年に五輪が来たら、その都市はどんな変化をするのだろうか。巨額の出資を伴う「起爆剤」や「再開発」が、残されていた貴重なものすら取り払うことのないように願いたい。

为了迎接2016年的夏季奥运会,国内的候补城市将在明年8月底统一。据说可以看到,已经报名的东京都、福冈市,以及还在摸索中的札幌市的“起爆剂”,如正在恢复举办奥运会的繁荣景象及整备道路、新干线等等。

奥运会是绽放着独特光辉的大事。扩大化和招标竞争的过热,选手服用违禁药品等等问题十分严重,尽管如此,还是有很多感人至深的画面令人陶醉。它承载着举办城市和国家的梦。

东京奥运会,背负着战后日本的一个大梦,那就是向国际社会展示日本从一片焦土至全面复兴的成果。这个梦已经在1964年,昭和39年的秋天实现了。另一方面,在奥运会成功的旗帜下,街道进行了很大的改造。

在奥运会举办不久以前,以东京为舞台的电影《ALWAYS 三条的夕阳》(山崎贵导演)公映了。描绘了昭和33年,东京塔还在建设中,在市中心的街道上形形色色的人们的样子。大街姑且不论,小巷和胡同很多,没有汽车,还只有人和自行车来来往往。

电影描绘出集团就职的少女想在东京的职场上发光的梦暂且破灭了。但是在那里,像小巷的网点那样遍布的人们的心有着紧密的联系。

不仅是东京,改造的时候,从城市开始,被改造的地方都失去了心的小巷和自然。如果2016年举办奥运会,这座城市会发生怎样的变化呢?但愿伴随着巨大的投资,“起爆剂”和“再开发”,不要连残存的宝贵财富都掠夺一空了。

纪念钱币

圣火传递路线

焰火

【天声人語】2005年10月28日(金曜日)付

十月 28th, 2005 in 天声人语, 日语学习 暂无评论 »

【天声人語】2005年10月28日(金曜日)付

 目の前に、さえぎるものは何もない。どこまでも太平洋が広がる。あの水平線の手前に巨大な滑走路ができるとしたら、この青い海は壊れてしまうだろう。

 沖縄県名護市の浜に立ち、「海上ヘリポート」の建設が想定されていた海域を見たのは、5年前だった。米軍の普天間飛行場の移転先の候補という海原の、きらめきと穏やかさが胸に残った。

 当時の海上案から変わり、浜と海とにまたがる「沿岸案」で、日米の政府が合意した。まるまる海に造る当初案と比べれば、壊される海域は小さいようだが、集落には近くなる。何より、あれだけ基地がひしめいている沖縄に大きな施設を新しく造ることに、時代を逆行するような違和感がある。

 「おねすとじょんだの/みさいるだのが/そこに寄って/宙に口を向けているのだ/極東に不安のつづいている限りを/そうしているのだ/とその飼い主は云うのだが」。沖縄出身の詩人・山之口貘が、米国の施政権下にあったころの沖縄をうたった「島」の一節だ。

 「島はそれでどこもかしこも/金網の塀で区切られているのだ」と続く。「人は鼻づらを金網にこすり(略)金網に沿うて行っては/金網に沿って帰るのだ」(『山之口貘全集』思潮社)。戦後60年になっても、島の金網は延々と続いている。

 名護の浜では、建設に反対する人たちが座り込みを続けてきた。93歳になるおばあさんが言ったという。「基地の建設が始まったら、海に座るさー」。米政府とは合意したが、日本の政府は、肝心の住民や自治体とは合意できるのだろうか。

【天声人语】2005年10月28日(星期五)

    眼前,什么遮掩也没有。哪里的太平洋都是宽广的。如果在那条地平线跟前建造巨大的飞机的跑道,我想这蓝色的海洋就完了。

看到在冲绳县名护市之滨,被设想建设为“海上直升机飞机场”的海域,是在5年前。据说是美军的普天间飞机场的侯补迁移地的海洋,它的光辉和安静留在了我胸中。

从当时的海上提案变成横跨海滨海洋的“沿岸提案”,日美政府达成了一致。如果和要在全部海域建造的最初提案相比,被破坏的海域似乎小了,但是离人们聚集地近了。首先,在基地拥挤的冲绳新建大的设施,对此有一种逆行于时代的不协调感。

“诚实约翰的/导弹啊/靠近那儿/口向着天空/远东的不安还在继续/就要这样做/主人如是说”这是诗人山之口貘吟咏在美国的政权统治下的冲绳的诗歌《岛》中的一段。

“岛因此到处/被铁丝网墙分割开”在继续。“人的鼻脸蹭在铁丝网上(略)沿着铁丝网行走/沿着铁丝网回家”(《山之口貘全集》思潮社)。虽然已是战后60年了,岛的铁丝网还在继续延伸。

在名护的海滨,反对建设的人们不断静坐示威。93岁的婆婆说:“如果基地的建设开始,就坐到海里去。”虽然和美国政府达成了一致,日本政府和重要的居民和自治团体达成一致了吗?

资料参考:

おねすとじょん【オネスト・ジョン】◇[英]Honest John

     ○[歴][軍]無誘導地対地ロケット(MGR-1)。

      射程距離は37キログラム、弾頭重量は580キログラム。

      アメリカ陸軍が始めて開発したロケット砲(初歩的なミサイル)。

      核弾頭搭載可能で、戦術核兵器を生むきっかけとなった。

      参照⇒ふろっぐ(フロッグ)

     ◎1955. 7.28(昭和30)アメリカ陸軍、富士山山麓で最初の試射。

2005年9月18日星期日

九月 18th, 2005 in 天声人语, 日语学习 暂无评论 »

【天声人語】

2005年09月18日(日曜日)付

民主党の新代表に決まった前原誠司氏は、比叡山を東に仰ぐ京都市左京区で育った。卒業した市立修学院小学校のホームページを見ると、校歌は「み空に高き比叡の峰」を歌い、校舎から見た山影が紹介されている。

 比叡山を織田信長が攻めたのは1571年旧暦9月中旬のことだ。僧兵の拠点、延暦寺を焼き払い、僧俗数千人を殺害したという。その比叡山を見て育ったであろう前原氏が最大野党の顔となったことに、信長好きの小泉首相は今どんな思いか。

 今年ほど首相が信長を頻繁に語ったことはなかった。郵政改革を桶狭間の合戦にたとえ、閣僚には「明智光秀になるな」と念を押した。「私は信長のように非情だと言われるが、戦国武将たちに比べれば自民党の権力闘争なんか生っちょろい」と演説した。信長への思いは学生以来らしいが、このごろは言外に自己陶酔もちらつく。

 最近の愛読書は『信長の棺』(日本経済新聞社)だ。「首相が解散を決めた一冊」などと大仰な宣伝がされているが、読んで著者の年齢に目がとまった。加藤廣氏75歳。これがデビュー作である。

 中小企業金融公庫や山一証券に勤務し、経営評論家として独立した。学生時代に作家を夢見たことはあったが、小説の筆をとったのは65歳からだ。

 信長が「余はこの国の無能者の掃除人になることに決めた」と語る場面がある。とりつかれたような変革志向に、加藤氏も首相との類似性を見る。政敵一掃を狙うかの観もある首相とどう渡り合うか、民主党を背負う新リーダー43歳の手腕が問われる。

【天声人语】

2005年9月18日(星期日)

被定为民主党的新代表的前原诚司,生长于向东仰望比睿山的京都市左京区。看了他毕业的市立修学院小学的主页,校歌是歌唱“高耸入云的比睿峰”,并介绍了从校舍看到的山影。

织田信长攻打比睿山的时间是1571年旧历的9月中旬。据说烧光了僧兵的据点-延历寺,杀害了僧俗数千人。这位看着比睿山长大的前原变成了最大的在野党的代表,不知喜欢信长的小泉首相现在怎么想。

首相说起信长没有比今年更频繁的了。他把邮政改革比作桶狭间之战,并提醒阁僚“不要做明智光秀”。他演说道:“我虽然被说成像信长那样无情,但是和战国武将们相比,我对自民党的权力斗争之类的毫无兴趣。”仰慕信长好像是从学生时代开始的,近来言外闪烁这自我陶醉之意。

最近喜欢读的书是《信长的棺木》(日本经济新闻社)。它被夸张地宣传为“首相决定解散的一册”等,阅读时我把目光停留在作者的年龄上。加藤广氏75岁。这是他的处女作。

在中小企业金融公库和山一证券任职,作为经营评论家独立。学生时代梦想成为作家,从65岁开始拿起笔写小说。

信长曾经说过:“我决定要成为清除这个国家的无能者的人。”在被采取的变革志向中,加藤也看到了信长和首相的类似性。和也有着想伺机把政敌一扫而光的观念的首相如何战斗?担负着民主党大任的43岁的新领袖的本事被人们关注询问。

天声人语2005年9月17日星期六

九月 17th, 2005 in 天声人语, 日语学习 暂无评论 »

【天声人語】2005年09月17日(土曜日)付

南米のチリ沖に浮かぶ島の高台に、小さな記念碑がひっそりと立っている。「この島で四年四ケ月、完全に孤独のまま生きのびたスコットランド……ラルゴ出身の船乗り、アレクサンダー・セルカークを記念して」。「ロビンソン・クルーソー」のモデル、セルカークの足跡をたどっている探検家・高橋大輔さんの『ロビンソン・クルーソーを探して』(新潮社)の一節だ。

 

約300年前にセルカークが漂着した島は、今ではロビンソン・クルーソー島と呼ばれているという。今年の初めに島で5度目の調査をした高橋さんらが、セルカークの作った小屋の痕跡を見つけたと発表した。出土品や地層の年代測定などで判断したという。

 

99年刊の高橋さんの本には、こんなくだりもあった。「セルカークが実際に住んだ小屋、生活の痕跡……それらは歴史の中で 撹拌(かくはん)され、散り散りになり、核心へと近づくのはどうやら遅すぎたようだ」。執念が実ったということか。

 

ルソーが教育小説『エミール』に書いている。「わたしたちにはどうしても書物が必要だというなら……自然教育のもっともよくできた概説を提供する一巻の書物が存在するのだ……アリストテレスか、プリニウスか、ビュフォンか。いや、ロビンソン・クルーソーだ」(岩波文庫・今野一雄訳)。

 

難破、恐怖、希望、生存。幼いころに読めば、冒険の世界へといざなわれる。長じれば、人生の現実に重ねてクルーソーの生き方や言葉を味わうこともできる。

 

今回見つかったという痕跡からは、どんな伝言が聞けるだろうか。

【天声人语】2005年9月17日(星期六)

在南美的智利洋面上浮现的小岛的高岗上,静静地立着一块小纪念碑。“纪念在这座小岛上,完全孤独地生活了四年四个月的苏格兰人……亚历山大·塞尔柯克,这位出身于格拉斯哥的水手。”这是探索“鲁滨逊·克鲁索”的原型-塞尔柯克的足迹的探险家-高桥大辅的《寻找鲁滨逊·克鲁索》(新潮社)中的一段。

 

大约300年前塞尔柯克漂流到的小岛,现在据说被称为鲁滨逊克鲁索岛。高桥在今年年初对此岛进行了5次调查,并发表了发现塞尔柯克制造的小屋的痕迹的文章。据说是根据出土文物和地层的年代测定等判断的。

 

99年出版的高桥的书中也有这样的段落。“塞尔柯克实际居住的小屋,生活的痕迹……这些被搅拌在历史之中,变得分散,向核心靠近好像怎么做都太迟了。”是执著有了结果吗?

 

卢梭在教育小说《爱弥儿》中写道:“如果说对我们来说无论如何书籍是必要的……提供更好的自然教育的概论的一卷书籍是存在的……是亚里士多德、普林尼、布丰吗?不是,是鲁滨逊·克鲁索。”(岩波文库·今野一雄译)

 

失事、恐怖、希望、生存。如果在小时候阅读,就会被引诱到冒险的世界中去。一旦长大,就也可以体味到重视人生的现实的克鲁索的生活方式和语言。

从这回找到的所谓痕迹里,会听到什么样的传言呢?

天声人语2005年9月16日星期五

九月 16th, 2005 in 天声人语, 日语学习 暂无评论 »

【天声人語】

2005年09月16日(金曜日)付

 樋口一葉の日記に、総選挙の投票日についての一節がある。「この日総撰挙投票当日なれは市中の景況いつ方も何となく色めきたる姿なりし」(『明治文学全集』筑摩書房)。

 当時は、女性に選挙権はなく、男性の限られた層しか投票ができない制限選挙だった。それでも文面からは、選挙という新しい仕組みが始まった明治中ごろの街と人々の様子がうかがえる。

 それから1世紀余りたった今、選挙権は成人した日本人に行き渡っている。しかし、外国に住む日本人には、国政選挙では比例区の投票しか認められていない。この「制限選挙」は不当だとする訴えを最高裁大法廷が認め、「公選法の規定は憲法違反だ」という判断を示した。

 これまでは、国政選挙のありかたについては、国会の裁量を幅広く認める判断が主流だったから、流れを大きく変える判決だ。国民の投票する権利を重くみて、不当な制限を長い間放置してきた国会の無責任さを指摘した。これに限らない、立法府の怠慢への、厳しい警告のようにもみえる。

 世界では、多くの先進国に在外選挙の制度がある。国立国会図書館によると、選挙資格で出国後の年数を問う国と問わない国とに分かれている。制限がないのは、アメリカ、フランス、イタリアなどだ。ドイツでは一般人の場合、出国後10年、カナダは5年まで資格がある(『在外選挙ハンドブック』ぎょうせい)。

 今回の判決で、最高裁は、1人当たり5千円の慰謝料を原告に支払うよう国に命じた。額は樋口一葉1枚だが、原告が手にしたものは重い。

【天声人语】2005年9月16日(星期五)

在樋口一叶的日记里,有关于大选的投票日的一节。“在大选投票当天,市内的情况是,无论是谁都不由得有点跃跃欲试的姿态”(《明治文学全集》筑摩书房)。

当时,女性没有选举权,只限定男性阶层可以投票,这就是限制选举。尽管如此,从文章表面来看,可以看到,在“选举”这一新的结构开始进行的明治时期,街道和人们的样子。

从那时开始过了1个多世纪的今天,选举权普及到了每一个已经成人的日本人。但是,在外国居住的日本人,只有在国政选举的比例区的投票才被承认。认为这种“限制选举”是不合理的,这一诉讼被最高法院认定,最高法院表示了“公选法的规定违反了宪法”的判断。

至此,关于国政选举的理想状态,因为国会的裁量应该大范围认定的判断是主流,这是一个大大改变主流的判决。人们指出必须重视国民的投票权,并指责国会长期放任不当选举权的这种不负责任的做法。不仅如此,立法院工作的怠慢也受到了严重的警告。

在全世界,很多发达国家具有在外选举的制度。据国立国会图书馆资料显示,在选举资格方面,分为追问出国后的年数的国家和不问出国后的年数的国家。没有限制的国家有,美国、法国、意大利等。在德国,普通人的情况是,出国后10年之内有选举资格,加拿大是5年之内有选举资格(《在外选举手册》行政)。

在这回的判决中,最高法院命令国家支付原告每人5千日元的赔偿金。金额虽然是1张印着樋口一叶头像的5千日元,但是在原告手中是沉甸甸的。

天声人语2005年9月15日星期四

九月 16th, 2005 in 天声人语, 日语学习 暂无评论 »

【天声人語】2005年09月15日(木曜日)付

古代の中国に、指南車という車があったという。歯車仕掛けで、初めに南を向けておくと、車上の人形の手が常に南を指し示して人を導いた。そこから、教え示すことを「指南」というようになったと辞書にはある。

 世の習い事は様々だが、あくびの師匠が登場するのが落語の「あくび指南」だ。にわかに弟子入りした男が、師匠の言う「四季のあくび」のうち、長い舟遊びの後に出るという「夏のあくび」の稽古(けいこ)をつけてもらう。

 何度やっても様にならない。弟子入りにつきあって来ていた別の男がしびれをきらす。「教えるやつも教えるやつだ、へッ、教わる野郎も教わる野郎じゃねえか」(『名人名演落語全集』立風書房)。

 東京の大手監査法人の公認会計士4人が、証券取引法違反の疑いで東京地検に逮捕された。カネボウの粉飾決算への共謀容疑で、見かけの決算を 実際よりもよくした際、「隠すなら、こうしないと隠せない」などと「指南」した疑いもあるという。事実なら、帳簿の番人であるはずの公認会計士が帳簿の粉飾の稽古をつけたことになる。教えた方も教えられた方も病んでいる。

 近年、大手の監査法人の公認会計士らが、企業の不正経理に手を貸す事件が続いている。企業との密接な関係の中で帳簿の数字を扱うという仕事のありようが、罪の意識を薄れさせたのだろうか。

 これでは、どの会社にも欠かせない帳簿という社会への報告書の信用までが揺らぎかねない。「日本株式会社」を監視するはずの会計士や監査法人の「指南車」の向きが問われている。

【天声人语】2005年9月15日(星期四)

在古代的中国,据说有一种叫做指南车的车。此车是齿轮构造,最开始向南放置,车上的木偶的手永远指向南方,给人引路。从此以后,在辞典里就有了把教导指示称为“指南”的说法。

世间的学问各种各样,哈欠师父的出场是单口相声的“哈欠指南”。一名当学徒不久的男子,学习在师父说的“四季的哈欠”中,长时间的乘船游玩之后产生的“夏天的哈欠”的课程。

无论做多少次也做不好。陪学徒一起来的另外的男子急不可耐。“教的人是教的人,呵,学的人哪是学的人啊。”(《名人名段相声全集》立风书房)

东京的大企业监察法人的4名注册会计师,因被怀疑违反证券交易法而被东京地方检察厅逮捕。他们被怀疑共谋做嘉娜宝的假决算,即使比实际做得更好的时候,给其他会计师的表面决算以“如果要做假账,不这样做不行”之类的 “指南”。如果是事实,本应是帐簿看管者的注册会计师就变成了粉饰帐簿的人了。教的人和被教的人都有问题。

近年来,大企业的监察法人的注册会计师们,帮助企业进行不正当经营的事件持续发生。在与企业密切的关系中,处理帐簿的数字的工作,岂不是使企业的犯罪意识愈加淡薄吗?

如此一来,面向社会的报告书,即所谓的哪个公司也不能欠缺的帐簿,它的信用很可能动摇。应该监视“日本股份公司”的会计师和监察法人的“指南车”的方向正在拷问中。

天声人语2005年9月14日星期三

九月 14th, 2005 in 天声人语, 日语学习 暂无评论 »

【天声人語】2005年09月14日(水曜日)付

漂流中に救われて米国で10年暮らした幕末の漁師ジョン万次郎は、帰国後、藩の子弟に英語で数をこう教えた。ワン、ツウ、テレイ、ソワポゥ、パッイワ。1から3はわかるが、4と5は現代人には理解しがたい(斎藤兆史『英語襲来と日本人』講談社)。

 英語の音を日本語に置き換えるのは難しい。同じ課題に終戦直後の出版界も直面した。米兵に何か売るにも、占領機関に職を求めるにも、とにかく通じる英語が欠かせない。次々に出版された英会話の手引書はどれも発音表記に工夫を凝らした。

 まっ先に出て人気を呼んだのが誠文堂新光社の『日米会話手帳』である。今から60年前の9月15日に売り出された。復員した編集者加藤美生氏が、英語に強い大学院生の力を借り、突貫作業で79の文例に発音を付した。

 タマネギはオニオンでなくアニヤン、料理屋はレストランでなくリストウラン、「お掛けなさい」のTake your seatがテイキヨゥスィートである。限りなく原音に近いカタカナをという気迫が感じられる。

 3カ月余りで360万部が売れた。「出社すると、玄関前に空のリュックを抱えた書店主が大勢待ち構えててね」。ブームのさなかに生まれた長男美明氏(59)は、加藤氏から思い出話を聞いている。

 81年に黒柳徹子さんの『窓ぎわのトットちゃん』が出版されるまで、戦後ベストセラーの首位を保った。加藤氏は10年前に79歳で亡くなり、1冊が家族に残された。紙質が悪く、触れると指先からポロポロ崩れる。いまは書棚の隅で静かに眠っているそうだ。

【天声人语】2005年9月14日(星期三)

漂流中被救,在美国生活了10年的幕府末期的渔夫约翰万次郎,回国后,用英语教藩地的孩子数字。Wan、tsuu、terei、sowapu、payyiwa(One, two, three, four, five)。从1到3还可以理解,4和5对于现代人来说就很难理解了(斋藤兆史《英语袭来和日本人》讲谈社)。

把英语的发音置换成日语很难。在二战结束后不久,出版界也面临着同样的课题。无论是向美国士兵卖点什么,还是在占领机关求职,总之交流英语是不可或缺的。接连不断出版的英语会话的手册中都在发音列表上下了功夫。

首先露面的大受欢迎的手册是诚文堂新光社的《日美会话手册》。是在距今60年前的9月15日出版发行的。退伍的编者加藤美生借助英语水平较强的研究生之力,突击工作,给79个文例附加了发音。

洋葱是aniyan(onion),不是onion,餐馆是risutouran(restaurant),不是resutoran,“请坐”的Take your seat是teikiyousiito。可以感觉到,手册尽量采取了与原音最相近的片假名的形式。

3个多月卖出了360万部。“我到公司上班,大门前有非常多的书店店长抱着空包等候着呢。”生于这股热潮最高潮时的加藤的长子美明(59岁)从加藤那里听到了谈起的往事。

在81年黑柳彻子的《窗边的小豆豆》出版之前,这本手册一直保持着战后销量第一的成绩。加藤在10年前以79岁高龄去世,他给家人遗留了一本手册。纸质很差,手指一碰到就啪啪地碎了。现在它好像正安静地躺在书架的一角。